ワンド よみがえった明治の技術 自然との共生する治水技術

淀川ワンド

ワンド(湾処)は、川の本流と繋がっているが、河川構造物などに囲まれて池のようになっている地形のことである。魚類などの水生生物に安定した棲み処を与えるとともに、様々な植生が繁殖する場ともなっている。近年では、河川にビオトープを形成する手段として、人工的に作られるケースが増えています。


ワンドは、淀川の改修工事によって生まれたものです。


明治時代に、大阪に港をつくる計画がもちあがりました。

それは大阪に港をつくり、大阪から京都伏見まで蒸気船を通れるようにする、というものでした。

そのためには河川の改修が必要となるため、当時日本と友好関係にあったオランダから外国人技師を招へいし、先進国の土木技術を取り入れることとしたのです。 1872年(明治5年)に、長工師としてファン・ドールンが来日します。 ファン・ドールンは翌年「治水總論」を明治政府に提出します。これは、治水土木に関する術語、施工法が説明されたものとなっており、日本の技術者に治水の原則を教えることとなりました。 1873年(明治6年)には、エッセル、チッセン、デ・レーケらの技師が来日し、淀川の改修計画や築港計画づくりを行い、さらには日本の各地で土木事業に従事することとなります。

淀川を改修し、大阪から伏見まで蒸気船を通すには、約1.5メートルの水深の水路が必要となりました。また、あまり急な水路とすると川の流れが速くなって蒸気船がのぼりにくくなるため、水路をくねくねと曲げて流れを緩やかにすることにしました。 そして、その水路が曲がっているところに水があたって水路が壊れないように「水制」というものを設置したのです。

この工事で用いられた「水制」は、岸から川へ垂直につきだした形をしています。そして木の小枝や下草を使って大きなマットをつくり(粗朶沈床工)、それを何重にも積み重ねて大きな石で川の底に沈めました。


やがてこの水制に囲まれたところに土砂がたまり、その上に水際を好む植生が繁茂し、現在のワンドの元の形が作られた。

ワンドは、水流が穏やかなので、淡水魚の生息に適しており、水生植物が繁茂するところは、魚の産卵や稚魚が暮らす絶好の場所となっている。水の流れや深さなどが微妙に異なるため、それぞれのワンドは独自の生態系を形成している。

淀川のワンドが天然記念物の稀少種イタセンパラの生息地として注目されるようになると、河川に生物多様性をもたらす要素のひとつとして、河川改修にあわせてワンドを整備するケースが増えています。

出展1:淀川河川事業所 淀川ワンド
出展2:ウィキペディア ワンドより

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